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「乙女文楽の歩み」と「乙女文楽座」

女一人遣い人形
 乙女文楽は大正14年 林二輝(大阪市天王寺)によって考案され、翌年 布施倶楽部にて初演、その後一座を結成し、大阪新世界ラジウム温泉にて興行を続けました。
 吉田光子は考案直後から参加、その後尊父井上政次郎が雇った人形遣い桐竹門造氏より本格的な文楽を習得し、桐竹光子と称して昭和4年、14歳で若き座長として活躍しました。
 その後、師桐竹門造氏が大阪乙女文楽座を擁したため、吉田徳三郎氏に師事。吉田光子と称し、今日に至っています。

 乙女文楽がもっとも盛んだった昭和初期ごろには、林二輝氏、桐竹門造氏、吉田光子と三つの座がありました。
 林氏の座は戦災に遭った後、後継者が復興したにもかかわらず死去に伴い消滅。桐竹氏の大阪乙女文楽座は、桐竹千恵子氏(神奈川県茅ヶ崎市)により継承されています。吉田光子の座は昭和17年、島田理太郎との結婚により解散しています。

 その吉田光子の『乙女文楽座』は、多くの方々のご尽力により平成6年、52年ぶりに復活しました。
                         (故 土井順一氏の文献による)
| 乙女文楽座について | 16:42 | comments(0) | 乙女文楽座 |

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